09.25

最近、自分のことがふと不思議になって、色んな角度から見てみたり検索かけて同じ人がいるのか探っていた時間がある。

この頃の現代社会は、自分の悩みに「病名」を付けているなとふと思い。ADHDや適応障害とかね。

それは一種の安心でもあるし、偏見も無ければ理解もない。だって私に思い当たるものの名前を見つけられなかったから。

だからこそ、自分のことが分からなくなって、ある種の自分探しをしてみたかったのかもしれない。中々遠出できる世の中では無くなっているから、外にも出られないし。

それがある日、見つけることが出来た。(自己判断で当てはまるものだけど)

HSS型HSDというものらしい。
(説明は面倒なので気になる方はご自身で)
病名に聞こえるけどあくまでも概念らしい。
刺激的なことにポジティブなのに内向的らしい。
色んな説明を見て当てはまるなと思うことが多くてこれかなと思ったくらいだけれど。

それにね、安心しなかったの。
みんな、そうじゃない?って。
悩むし逃げるし人間関係しんどいし。
自己肯定なんて出来る人この世にいるのかなと。
私は、心のどこかで私にも「病名」をくださいって祈っていた。

鬱でも、ADHD、天才でもなんでも。

でも、概念という病名を与えられて、ふと母親の言葉で我に返る。
「何もない、それがいい。それが幸せ」
ああ、そうだなって。

私の母親はフィリピン人にして、時に日本人よりも名言を残す。
それでも、私はまだ私に対して付加価値を付けたがる。
このままの私では嫌だと思ってしまう。
けれど、私も早く何もないことの幸せを知るために頑張ってみようと思った。


母親と電話して話せて、ここ最近で心が頭の中が空っぽになれたことがとても幸せだと思えたこと。

とても大切。